人の一生は短いですよねぇ。
ああ、私らに比べたら、の話ですが。
あなた、今まで出会った人間の人数覚えていらっしゃいますか?
…………そりゃあ覚えちゃいないでしょォ。
これから出会う人間、一体どれだけなんでしょうねぇ?
そんでもって、これから出会う人間の中でどれだけの人があなたの 大事な人 になるんでしょうねぇ?
どうです、ここいらでその人の 声 聞いちゃ見ませんか?
興味、ありませんか?聞かせて差し上げますよ…
その代償と言っちゃあなんですが……、ああ、そんなに怯えないでください。
別に命を取ろうなんて思っちゃあいませんよ…ヒヒヒ。
ああ、代償ね。そうだそうだ。
……そうですね、貴方の声、私に下さりませんかねぇ?
おおっと、そんな顔しないでくださいよォ。
アレでいいですよ、アレ。
え?何に使うのかって?
そりゃあ野暮ってもんですよォ、お嬢さん。
別にそんなに必要なものじゃないんでしょォ?
ヒッヒ…、まぁじっくりゆっくり考えてくださいな。時間は、たっぷり、あるんですから。
「はい、大槻です。ただいま留守にしております。ご用件のある方はメッセージを残しておいてください」
ピー、と電話の音が鳴る。
「奈緒ちゃん?お母さんだけど…」
続いて母からのメッセージが流れた。
内容はありがちな物であったから、起きぬけの頭にはあまり入って来なかった。
欠伸を一つして体を起こす。
なにか不思議な夢を見ていた気がするのだけど、夢と言うものは起きてすぐにリフレインしないと忘れてしまうもので、例に洩れず私もそうだった。
不思議な夢だった、と言う事しか思い出せなかった。
重たい足取りで浴室に向かい、ぬるめのシャワーを浴びて幾分かすっきりした頭で、キッチンの冷蔵庫から、
ココアを持って、部屋に戻った。
その瞬間、雨の日に窓を開けたみたいに湿った空気が体にぺたりと張り付いた。
「やだ……シャワー浴びてきたばかりなのに」
体の力が抜ける感覚もある。かくん…と重力に従って膝が床についた。
「おやおや、大変そうですねぇ、お嬢さん」
え?と口をついたのが先か、それともガラ…と窓が空いたのが先か。
おかしい、窓には内側から鍵を掛けておいたはずだし、なによりこの部屋は8階のはず。
「こいつぁ失礼。いえいえ、どうやらお嬢さん、昨日のことを覚えてないみたいだったんで」
「昨日…………?なにを言ってるんですか?」
暗い色のフードを被ったその人物は足音を立てずに歩み寄って来る。
不審者、警察、と思いながらも体が動かない。
「おやおやおっかないなぁお嬢さん、それはそうと、こいつを、覚えているかい?」
え?と一瞬悩んだ隙に、不審者はすぐ側まで近づいてきていた。
「…ひっ!!」
「お嬢さん、未知との体験をしてみたくはないかい?これから出会うであろう、ダイジな人の声、聞いてみたくはないか?…覚えているかい?この、音を」
ジリリ…と騒がしい音が鳴る、なにそれ、と口には出さずに胸中で呟いた。
「おやまぁ…左様ですか。それじゃ、もう一度説明してあげましょう。今度は忘れないでくださいよォ」
(この電話はね、貴方がこれから出会う大事な人の声が聞ける魔法の電話なんですよォ…
ま、普通の電話として使おうなんて思わないでくださいね?
間違っても知り合いなんかにゃあ繋がりませんよ。
きっとあなたが必要な時、その電話は鳴ります。その時に受話器を上げればいいだけ。
簡単でしょォ?差し上げますよ。
その代わりと言っちゃあ難ですが、アレ、私に下さりませんかねぇ?
あ、いえいえ、その機械は要りません、それに吹きこんであるお嬢さんの声が欲しいんですよ。
え?何に使うのかって?
そりゃあ野暮ってもんですよォ、お嬢さん。別にそんなに必要なものでもないでしょォ。
ヒッヒ…、まぁじっくりゆっくり考えてくださいな。時間は、たっぷり、あるんですから。)
頭の中に響くその声には聞きおぼえがあった。
昨日見た不思議な夢、で聞いた声だ。
未だ自由に動かない体に、恐怖を覚えながらも目線だけはその人物の手のひらに乗った黒電話に合わせた。
このご時世なかなかお目にはかかれないものの、レトロな雰囲気のその電話は、随分昔に見た事があるような気がする。
「でも…それは…夢で………」
「夢?あぁ、そうですねぇ。これが現実か…それとも夢か…どっちかは、貴方次第ですぜぇ?」
その人物は手もとの黒電話のコードに指を通し、くるくると指で弄んでいる。
するとひとりでに受話器が上がり、その受話器はふわふわと宙を舞いだした。
「え!?なに、きもちわる……」
「それはあっしに言ってらっしゃるんで?」
「…………………あなたにもいってる」
「…そいつぁ失礼、じゃ、あっしは失礼しましょう。どうそ、こいつを有効に使ってやってください、ね?」
その言葉を聞いてすぐ、灰色の煙が部屋に立ち込めて。
え…と二、三回瞬きをすると、今までの事がなかったように、
いつも通りの部屋の光景が目に映った。
体もいつのまにか自由になっていて、窓も閉まっている。
「…白昼夢でも、見た、の?」
額に手を当てて呟いたけど、次の瞬間にはこれは現実なのだと理解した。
床に無造作に置かれたそれは、紛れもなくあのフードの不審者が持っていた黒電話だったからだ。
おそるおそるその電話に近づいた瞬間
ジリリリリリリリリリリリ
「え!?」
鳴り響く電話の音に、思わず後ずさった。
その時私の耳元で、
(きっとあなたが必要な時、その電話は鳴ります。その時に受話器を上げればいいだけ)
と、先程のフードの人物の声が聞こえた気がした。
…とりあえず受話器を上げてみようか、それともこんな怪しいもの、触れないでおくべきか。
迷っている間に、着信は止まった。
安心したような、残念なような複雑な気持ちだけが残ったけど、不気味なそれを使う気にはなれず。
部屋の隅にその黒電話を追いやって、時間に急かされるように友人との待ち合わせ場所へと向かった。
その日久しぶりに会う友人と食事を楽しみ、馴染みの店でお酒を飲んで、ほろ酔いで帰宅してすぐに就寝してしまったので、
朝の時点では部屋の隅に置いてあったはずので電話が、帰宅時にテーブルの上に置いてあったことには気づかなかった。
そして翌日
ジリリリリリリリリリリリ
けたたましくなる音で目を覚ました。ぼんやりする頭で何も考えずに、私は受話器を取った。
「もしもし?」
「 」
受話器の先で誰かが何か言っている。
なんて言ってるんだろう?
受話器の向こうからは