「大丈夫?」
「ああ」

「酷いよね、証拠もないのに」
「良いんだ。タイミングが悪かっただけだし、真犯人が捕まったからこうやって解放されて、またササラの傍に居られる」

「………………」
「でも…ここも引き上げ時だ」

「この土地は存外嫌いじゃなかった。風の匂いが、潤っていて」
「故郷に、似ていたな。だけど、田舎町は噂が早い」

「そうね」
「手配はしておく。…どこに?」

「森に」
「…終わったら迎えに行く」

「うん」

さらりと揺れる髪の毛の間を爽やかな風が通り抜けて行く。
心なしかササラの顔色は悪い。
昨日は寝ていないのかもしれない、心配だな、とは思いつつも、俺がついて行っては邪魔になる事を知っている。
見守る事しか出来ない悔しさが心の大方を占めた。

昨晩の事。
コンビニ強盗があった。
田舎町では大きなニュースになり、背格好が似ている俺に容疑が掛けられ任意同行を命じられ、
心配そうなササラを残して刑事に同行した。

運の悪い事に、昨日は祝日で休日だったために俺のアリバイを証明できたのはササラだけ。
親しい人物の証言は信用されず、一晩中取り調べを受け、真犯人が捕まって解放されたのが先刻の事だ。

ここも潮時か。
そんな小さな言葉は、通りを走っている軽トラックの騒音にかき消された。

転々と住処を変える生活にも慣れたけれど、住み慣れ始めた部屋を出る時、ササラは寂しそうな顔をする。
その顔を見るのだけは、今も慣れていない。

古き良き家屋や、小さな商店がぽつぽつとしかないこの町も居心地は悪くなかった。
……願わくば、ずっと留まりたいと思うほどに。

少し歩けば清らかな河川があり、野原があり、人の手が加えられていない森がある。
ササラの体質にも合っている場所だったのに。

部屋に帰ったら、どこに行くか決めなくては。

「こんにちは」
「ああ、こんにちは」

「この間はミヤビ、見つけてくれてありがとう」
「いや、良かったね」

「お母さんがジュノさんにお礼にって」
「え?」

「お裾わけだから、気にしないでって」
「そっか。あとでササラと一緒に食べるよ。ありがとうってお母さんにも伝えておいて」

「うん!お母さんの作る天ぷら、美味しいんだよ」
「それは楽しみだな、ありがとな」

「いいえー!またねージュノ!」

またね、と手を振る彼に手を振り返しながら、もう会う事もないかもしれないけれど。
とは言えなかった。
この瞬間だけは今も慣れず、少しだけ寂しく思う。

どんな土地に移り住んでも、親切な者はいる。
部屋に戻り手にした風呂敷包みを開くと、山菜や芋、かぼちゃなどの天ぷらが詰まったパックと、
ミヤビ、見つけてくれてありがとうね、ササラちゃんと一緒に食べて。
と小さな手紙が添えられていた。

それを小さなテーブルに置いて、パソコンのスイッチを入れる。
検索画面に、「ビジネスホテル 周辺」と文字を入れて検索をする。
手ごろなホテルを見つけて、予約を入れた。
パソコンの電源を落とし、必要最低限の荷物を纏めた所で、18時を知らせる鐘が鳴った。

「………時間だ」

纏めていた荷物を置いて、薄手のカーディガンと部屋の鍵を左手に、傘を右手に持ち部屋を出る。
ぱらぱら、と小雨が降る中をひたすら進み、森の手前で足を止めた。

「ササラ」

小さく名前を呟いて、瞳を一度閉じる。
大きく呼吸をして、目を開けると、森の中にぼんやりと白い光が見えた。

「待った?」
「いいや……。ササラ、傘は?さっきは持っていただろ?」

「あ」
「しょうがない子だね」

「入れて」
「ああ」

薄いカーディガンを羽織らせて、傘の中に招き入れる。
軽く触れた肩はひんやりと冷たい。

「川、入った?」
「ううん」

「………………ササラ?」
「ごめん、本当は足だけ入った」

「帰ったらまずシャワーか…」
「…出発、今日じゃないの」

「冷えた体で今日出発しても意味がない」
「ごめんなさい」

「いいよ。慣れてる」

二人で肩を並べて歩く俺たちは、ヒトの目からはどう見えるのだろうか。
そんなことを考えた時もあった。
今になってみれば、人からどう見られようとどうでもいい事だったのだけど。
……自分も年を取ったのだろうか。

「お腹すいた」
「……友也のお母さんが天ぷらくれたよ」

「天ぷら………早く帰ろう」
「シャワーが先だからな」

「……………分かった」

近頃はササラもよく喋ってくれるようになったと思う。
初めてササラと会った時、俺は彼女から恐怖しか感じなかった。
冷え切った目をしていたササラを、人形のようだと思った。

「ジュノ」
「なに」

「別に。ただなんとなく、あんまり良い事考えてないなって」
「……良く分かったな」

「ジュノが分かりやすいだけ」
「そっか」

年頃の女の子にしては白すぎる細い手が俺の腕を掴んだ。

「…………大丈夫だから」
「そう?」

ならいい、とササラが俺の手を解く。
無意識のうちに伸ばした手は、ササラの柔らかそうな髪の毛に触れる手前で、動きを止めた。
胸のポケットの携帯電話が鳴ったのだ。
ササラがいつものように俺の胸ポケットに手を伸ばし、携帯を取りだし、通話ボタンを押した。

「おじい?うん、元気。ジュノも、元気」

隣で話しながら歩を進めるササラに歩調を合わせながら、行き場のなくなった手を引きもどす。
いつもこうだ。

手を伸ばせば届く距離なのに。

なんて、どこかの歌手が歌っていたような気がする。
近くに居るのに、遠い。
胸中でゴチていると、ササラの足が止まった。

「仕事?…………うん、うん。わかった。あ、でも移動する。うん、じゃあ来週。うん、また」

通話が終わったらしいササラが俺の胸ポケットに携帯を戻した。

「仕事………」
「うん。でも大丈夫」

「こないだもそう言ってただろ」
「今度は本当に大丈夫。おじいの知り合いだから」

「そっか」
「それより早く帰ろう」

「ああ」

雨は上がったものの日が沈みきって、冷たい風が吹く中、俺だけが取り残されている。
その感覚に囚われながら、少し前を歩くササラの後ろ姿を見ていた。
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