「ササラ、携帯」
「……ん?」
携帯電話、好きじゃない。
これがササラの口癖だった。
その為、唯一の連絡手段である携帯は常々俺の胸ポケットに存在している。
ある時だけを覗いては。
「ダッシュボード」
「うん……」
そう、俺が車を運転しているそのときだけを覗いて。
「………………聞いてないなこりゃ」
「……うん」
車の揺れはササラにとっては心地よい揺り籠の変わりになってしまうようで。
移動の最中の八割を、寝て過ごしてしまう。
どこかに車を停めて、俺が起こす時まで。
今朝別れたばかりの友也が電話を掛けてくるとは思えない。
とすると。
「おじいかな…」
ササラのおじいは俺にとっても返しきれない程の恩がある大恩人でもあるし、信用も置いている。
ササラの希望がある事も分かっているが、それでも。
危険な目には出来るだけ合わせたくない。
そんな思いから、出来るだけおじいから遠ざけたい、とすら思ってしまう。
だけど、それではいけない。
ササラがしたいと思った事をさせてあげたい。
甘くなったかな。
以前なら、無理をしても止めていたかもしれない。
「…………ソバ、どうしようか」
もう少し先のサービスエリアを過ぎてしまったら、もう降り口だ。
とりあえず寄って起こしてみようか。
電話も折り返さなくてはいけないし。
起きなかった時は……高速降りてから考えるか。
それから30分程車を走らせて、先程よりも小さいサービスエリアに車を駐車させる。
「ササラ、もう昼過ぎたよ」
「ん…………………」
「あと、電話来てた。おじいから」
「おじい……………」
寝起き独特のぼんやりと間延びした声でササラが返事をする。
「うん、おじいから。折り返してあげた方がいいよ」
「うん………」
「冷たい飲み物買ってくる。何がいい?」
「なんでも」
「分かった」
随分寝ていたけれどそれでも眠そうなササラを車に残し、自販機へと向かう。
空気が湿ってきたのが感じ取れた。
「ひと雨、きそうだな」
目に入った一番手前の自販機でミネラルウォーターを買って車に戻る。
また寝ているんじゃないかとも思ったが、空気が冷えてきたせいか、パチパチと瞬きをしながらシートを戻し、携帯を弄っていた。
「起きるの?」
「うん、ジュノ、これおじいに掛けたい」
「分かった。はい」
「うん……………………冷たい」
「目が覚めていいだろ」
携帯を持ち始めてもう数年経っているというのに、ササラは未だに携帯電話を自分で操作する気は更々ないらしい。
手渡された携帯を数回操作して、ササラの手に戻し、変わりにペットボトルを受け取った。
「もうかかってるから」
「うん。ありがと………………あ。おじい?うん。今?えっと今は…」
今どこだ、とかそのような事を言われたのだろうと当たりをつけて、
「もうすぐ首都高降りるとこだよ」
と言うと、ササラは一度頷いて。
「もうすぐ首都高降りるとこ」
と俺が言った通りに、電話口で告げた。
「うん、えっと。私は分からないけど、ジュノはきっと分かる。うん、分かったえっと、安全運転でな」
「わかったよ」
「分かったって。うん、じゃあ夜に」
電話を終えたササラが携帯電話を二つ折りの状態に戻し、ダッシュボードの上に置く。
「どこに来いって?いつものとこ?」
「うん……………私、あそこあんまり好きじゃないな」
「そう?料理は結構美味しかったけど」
「空気が硬くて、ご飯がごちゃごちゃしてる」
「まぁ緑が少ないからな、都会は」
「ジュノの作るご飯の方が美味しい」
「化学調味料とか好きじゃないのかな、ササラは」
前から分かっていた事だけど、人や建物が多くて緑のない都会とササラの相性は良くない。
それもササラをおじいの所に連れて行きたくない理由の一つではあるのだけど。
「仕事、いつ?」
「……早ければ、明日」
「そっか」
それならば長く居る必要もなさそうだ、と小さくため息をつくと、
「ごめん」
とササラが小さく呟いたので、
「怒った訳じゃないよ」
と言い添えた。
「もう少しかかる。ここでお昼食べないと、しばらく食べられないけどどうする」
「…えびの天ぷら」
「………昨日も天ぷらだったのに?」
「乗ってるソバがいい」
「天そばか」
「天そば」
「じゃあ、降りて食べに行こう」
「うん」
冷えた外気に晒されないよう、カーディガンを着せて。
そば、そば、とウキウキしているササラをしり目に、夕食はきっと重たいだろうな。
何を食べようか、そんなことを考えながら、ひょこひょこ揺れるササラの後ろ髪を見ていた。